SAPIX設立は経営者との対立を経て、Gnobleは経営者間の対立を経て

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中学受験
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中学受験界の雄ともいえるSAPIX(サピックス)は、2人の家庭教師から始まり、経営者との対立を経て、現在の地位を築きました。
一方、SAPIXからはGnoble(グノーブル)が、経営者間の対立で発足。
「分裂」がつきものの塾業界における、SAPIX、Gnobleの歴史を振り返ります。

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「塾の歴史は分裂の歴史」

2021年4月、日経ビジネスに次のような記事が掲載されました。

SAPIX小学部、御三家合格者の5割占有 中学受験常勝の法則
首都圏で子供の中学受験を考えた親なら一度は気にかけたことがあるはずの学習塾、SAPIX小学部。開成中学や桜蔭中学に多数の合格者を送り込む理由は、成績に基づくクラス替えという厳しい指導だけではない。講師の広い裁量による活発な教室が子供の才能を引き出す。優秀な子供を引き寄せ続ける仕組みを探った。

塾の歴史は分裂の歴史と言える。付加価値が講師に集中しやすく、各地で有力講師が別の塾を立ち上げるケースが繰り返されてきた。SAPIXもTAPの内部対立で主要教科の講師たちが独立した経緯があり、こうしたリスクがあることを現在の経営陣も理解している。

記事ではこのように記されています。
では、SAPIX設立に際しては、どのような経緯があったのでしょうか?

TAPから「分裂」したSAPIX

家庭教師派遣業からのスタート

SAPIXは、1972年ごろ、SAPIX小学部設立者の霜山幸夫氏と中学部設立者の小田茂氏が、TAPの「理事長」田中氏のもと家庭教師として働きだしたところから歴史がスタートします。
間もない1974年ごろ、田中氏がTAPを家庭教師派遣業から学習塾に変更したのに伴い、両氏はその講師として勤務するようになりました。
当時は霜山氏と小田氏のほか、アルバイト2人程度の小規模のものでだったと言います。

今のSAPIXでも取り入れられている復習を中心としたシステムは、この頃に考えられました

SAPIX設立2年前の1979年ごろ、TAPは小学部と中学部とに分離し、霜山氏が小学部を、小田氏が中学部を総括するようになり、難関校への合格者を増やしていきました。
SAPIX発足のきっかけとなったのが、TAPの分社化です。それまでのTAP運営会社、旧中教研を分社化し、小学部は中教研、中学部はタップルという会社が事業を行うことになりました。
小学部の社長に就いたのが霜山氏、取締役には国語の吉原氏や理科の奥田氏が就任しました。
中学部は社長が小田氏、取締役が英語の中山氏と数学の高橋氏です。

ただ、田中氏は、中教研とタップルの株式の各70パーセントを有限会社学養名義で所有し、「理事長」と称して実質的にタップルと中教研のオーナーの立場に立ちました。
SAPIX設立後の民事裁判では、田中氏が「中教研及びタップルの代表取締役印を自分で管理するなどして、事実上その経営を掌握して、その経理や財務に関する書類一切を公開せず、他方、霜山及び小田は、その経営に関わることはほとんどなかった」と認定されています。
なお、このあと記すSAPIX設立の詳細も、その裁判で認定されているものです。
(東京地方裁判所 平成2年(ワ)2242号 判決)

経営者との対立を経てSAPIX設立

こうしたなか、霜山氏は、田中氏が不必要な不動産投資を行い、多額の借り入れを起こしたり、分社化の際に多額の退職金を取得したりして会社を私物化しているほか、中教研やタップルに利益を残さず、他社が利益を吸い上げるなどの経理処理で、自分が関知しない経営で経営責任を負わされることをおそれ、公正な会社運例を行うよう再三要請した上で、事業提出に至りました。

1989年
2月15日頃 霜山氏辞表提出
3月頃 霜山氏、他の学習塾講師に
3月14日頃 小田氏らのはたらきかけで復職申出入れ
3月17日頃 田中氏が株式を手放す提案などを受け復職
4月19日頃 田中氏が合意撤回、全面対決の姿勢
5月1日頃 田中氏が霜山氏・小田氏解任のための株主総会招集請求
5月6日 中教研・タップルの取締役会で、第三者割当増資による新株発行決議(田中氏が差し止め仮処分申請し19日に発令受ける)
5月7日 田中氏が全従業員を集めて霜山氏や小田氏を避難
5月12日頃 吉原・奥田・高橋・中山各氏を解任するための株主総会招集請求
→生徒の間に動揺が広がる
5月29日 霜山氏が退任表明、他の取締役も退職の意思固める
6月3日 霜山氏が退任
6月14日 他の取締役らが退任・退職
6月15日 霜山氏やほかの取締役が、新たに学習塾を開設することを合意
6月29日 ジーニアス研究所、サピエンス研究所設立
→人形町・荻窪に建物確保
7月3日 SAPIX開校(ジーニアス研究所が小学部、サピエンス研究所が中学部)

このように、4月に大きく動き出したSAPIX設立者らと田中氏の対立は、急展開を見せ、約2か月の間にSAPIXが設立されました。

SAPIX設立当初は、エアコンのない部屋やホテルの宴会所で授業を行うなど、不自由もあったようです。

TAPの合格実績は急落

TAPのトップ講師たちがこぞってSAPIXに移籍した結果、多くのTAP生徒がSAPIXに入室しました。

当時の高校への数学には、SEGの吉川代表がSAPIXを応援する「友情広告」を掲載しています。

頑張れSapix生!
TAP在籍時代より、SEGを陰ながら支援をして下さった霜山先生(元TAP小学部代表)、小田先生(元TAP中学部代表)、高橋先生(元TAP中学部長)が、7月より新しい塾Sapix小学部、Sapix中学部を創立されました。今までの陰ながらの支援に応えて、この場にて、Sapix及びSapix生に、友情と激励のメッセージを送りたいと思います。
SEG代表古川昭夫

そして、翌年の受験では、SAPIXは1年目にして46人の開成合格者を出した一方、TAPは前年の51から9人に大きく減らすことになります。
その後、SAPIXは急成長を遂げるのは、周知のとおりです。

歴史は繰り返す? Gnoble

NEXUS横浜校開校「断念」

一方、中学受験で「知る人ぞ知る」存在であるGnobleも、その設立は決して輝かしい形ではありませんでした。

小田氏や高橋氏とともにSAPIX中学部の設立に関わった中山伸幸氏は、社内でNo.2の専務の立場で、西東京校(現杉並校)室長を務めながら、東京校や西東京校の最上位Zコースなどを担当していました。
その後、1994年には、英数講座NEXUSという高校生を対象にしたコースをSAPIX中学部の各校舎でスタートさせ、その後渋谷に統合、当初はSAPIX高校部 NEXUSなどとしていましたが、まもなくSAPIXとは別ブランドのNEXUSという塾になりました。
NEXUSは、英語の「カリスマ教師」として評判の高かった中山氏の授業を求めて多くの難関校の生徒が集まり、2006年には東大合格者71人を出すまでに成長しました。
しかし、SAPIX中学部とNEXUSの経営母体であるサピエンス研究所が2006年春、横浜校を新たに開校することを決定してから事態が動き出します。
当時、サピエンス研究所の取締役は、小田氏・中山氏・高橋氏、T氏の計4人でしたが、中山氏はNEXUS横浜校の開校に反対。
しかし、横浜校の開校は、社長の小田氏を中心に進められ、室長や7月13日という開校の日程を決定し公表します。
これに反発した中山氏が、7月3日に辞任、中山氏を慕う主要な講師陣が約10日後に退職し、当月になって横浜港の開校を断念する旨、社長から公表される事態になりました。

グラフは、当時のサピエンス研究所のウェブサイトに掲載されていたデータをもとに作成したものです。この頃、SAPIX小学部は急拡大を続けていましたが、一方で中学部は成長が鈍化していました。早慶高校の合格実績で早稲田アカデミーに抜かれ、その後開成高校・慶應女子高校の合格実績も首位を受け渡す直前の時期です。

好調なNEXUSの拡大を図った形ですが、中山氏のカリスマ性で生徒を集めていた側面もあり、中山氏の離脱は、結果的にSAPIXの高校部事業の衰退につながり、2009年には、サピエンス研究所は代ゼミグループの日本入試センターが全株式を取得・子会社化することになりました。

Gnoble小学部の「独立」

中山氏は、2006年7月下旬に、新宿と渋谷でGnobleを開設することを発表し、8月には、無料で夏期講習を実施しました。
翌年、東大には50名の合格者を輩出し、その後も順調に推移しました。
特に中山氏は、SAPIX小学部の経営陣と良好な関係を築いており、SAPIX小学部の機関誌「さぴあ」には、NEXUSではなくGnobleの広告が掲載された時期もありました。
そして、その後SAPIX小学部の代ゼミグループ入りしてからは、SAPIX小学部創設メンバーで、のちに社長を務めた田村氏やSAPIX小学部の教務部長だった眞田氏が中心に、中学受験のGnoble小学部を設立しました。
なお、前述の霜山氏も、Gnoble関連企業の取締役に一時名を連ね、TAP時代の主要講師陣が、Gnobleに再集結した形となりました。

SAPIX小学部は安定期に

一方のSAPIX小学部は、大量のテキスト、首都圏の主要路線にめぐらされた教室網をもって、多くの難関校の合格実績において、他を引き離すまでのぼりつめました。

SAPIX小学部、御三家合格者の5割占有 中学受験常勝の法則
首都圏で子供の中学受験を考えた親なら一度は気にかけたことがあるはずの学習塾、SAPIX小学部。開成中学や桜蔭中学に多数の合格者を送り込む理由は、成績に基づくクラス替えという厳しい指導だけではない。講師の広い裁量による活発な教室が子供の才能を引き出す。優秀な子供を引き寄せ続ける仕組みを探った。

現在のSAPIXには、冒頭のこちらの記事にも登場する教育情報センター本部長の広野氏が残るものの、多くの講師は、TAP時代を知らない世代となりました。
Gnoble小学部の例はあるものの、これはSAPIXの設立メンバーなど一部メンバーが代ゼミグループ入りを機に離脱した形で、「分裂」というほどのものではありませんでした。

現在のSAPIX小学部は創設メンバーこそ少ないものの、「代ゼミ化」することもなく、「SAPIX」ブランドを保持しています。代ゼミというある意味大衆的な予備校に対して、SAPIXは難関校対策塾としての位置づけを維持することが不可欠であることを経営トップも理解しているようです。

矢野耕平氏は、著書『令和の中学受験 保護者のための参考書』で、次のように述べています。

塾というの実にお手軽に起業できる業種です。だって、「講師」がいて「部屋」があり「机や椅子」があって「黒板やホワイトボード」があれば、すぐに立ち上げることができますから。さらに、塾講師には免許すらありません。誰だってすぐに塾を起業できるのです。

 

だからこそ、塾というのは、「分裂の歴史」でもあるのです。
こうしたなかで「大手」になるには、SAPIXにしろ、早稲田アカデミーにしろ、ましてや老舗の四谷大塚や日能研にしても、容易なことではありません。
中学受験関係者でなくてもその存在を知るSAPIXも、2人の家庭教師から始まり、分裂など、さまざまな苦難を経て、現在の姿があるのです。

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